2022.03.24
小さな贅沢が最も貴重で幸せな時間に #平和ってなんだろう?
当たり前の日常こそが、とても貴重なもの
世の中が、そして世界の情勢が大変なことになり、私たちにとって安全な社会とはなんだろう? と考えると、とても先が見えないことが多く、辛い事件をみるたびに、何ができるのだろう?? と気を揉んでしまいます。
しかし、日常はこうして毎日つながっているわけなので、そんな中でも、私たち大人がいつも安定した自分でいられるように、無理なく毎日を過ごせるように、自分も生活も整えていきたいものです。そして、この当たり前の日常こそが、とても貴重なものとなるんだろうな、と最近しみじみ感じています。
思い返してみると、幼少期の思い出の中でも、私のお気に入りの平和な風景として思い浮かぶのは、変わらない食卓のあれこれだったりします。
最近、よく母に会うと和菓子を手土産に持ってきてくれるのですが、実家を出て過ごす今、一番名残惜しいのはこの和菓子シリーズです。
私は千駄木という文京区の古い町で育ったので、ご近所に数々の名店があり、この時期は一炉庵の最中、みたらし団子は谷中のむさしや、お大福は郡林堂などと、どちらのお店で何を買うのかが決まっています。
どれもこれも昔ながらの庶民の老舗で手作りされている逸品、ほんの200円、300円のお菓子ですが量産のものとはお味が違います。こんがり炭火で焼いたお団子に甘いみたらし、おはぎもぽってりずっしり。当たり前のように、日常にちりばめられていたこんな思い出が、実はとても贅沢な習慣だったのだな、と今感じるのです。
目の前の日々の小さな幸せを大切に
こうした家で当たり前のように続いてきた日常の営み、それにまつわる会話が、今となってはとても懐かしいです。元々は祖母と母のお楽しみが、私たちのお楽しみとなり、こうして良い思い出に。当たり前の日常を、楽しく整えていくこと、その先に家族の幸せがあるのだと実感しています。
何か特別なことをしなくてもよく、まずは自分が美味しい、楽しいと思うことを家族に共有していく。そうすると自然と子どもたちは母親が好きな味を覚えていくのかもしれませんね。
社会がどうとか、未来がどうとか、という前に、目の前の日々の小さな幸せを大切にしてみる。そんな丁寧な暮らしを続けていくことも、少しずつの気遣いや努力が必要ですし、まずはそこから、足元からスタートです。
大きなことはできませんが、小さな私らしい贅沢を積み重ねていくことで、未来に繋がっていく、子どもたちの優しい心を育てるのだな、と最近は思っています。