2026.05.01
【連載】現役JKが語る、14歳で飛び込んだアメリカ留学のリアル
―14歳の夏、ボストンで私の10ヶ月が始まった―
14歳になったばかりの夏の終わり、中学2年生の私はアメリカ・ボストンへ留学することになった。
夢にまで見た留学だった。

ローガン国際空港に掲げられる星条旗
私を迎え入れてくださったのは、ボストンにある有名な私立学校。 150年以上の歴史を誇る名門校だ。
留学することが決まってからの夏は、喜ぶ間もなく準備に追われた。コロナもまだ落ち着いていない頃で、VISAの申請、入学書類への記入―。
「記入」と言っても、ちょちょっと書くレベルではない。親も子も、毎晩のように徹夜作業。
この頃から、周りの人に
「やっと夢だった留学に行けるんだね!おめでとう!」
と言ってもらえることが増えた一方で、こんな言葉もよくかけられるようになった。
「寂しくないの?」
「不安じゃないの?」
寂しいって、なんだろう?不安って、なんだろう?
明日にでも出発できる勢いだった私には、新しい世界への期待と希望しかなく、寂しさも不安も、正直ひとつもなかった。
同じ頃、両親はというと一人娘が留学してしまうことに、
「寂しくなるわね〜」
「何度も会いに渡米しちゃうんじゃない?」
と、どちらかというと心配されることが多かったらしい。
でも、毎日ワクワクしながら留学準備をして、幸せそうに笑っている娘を見ていた両親も、結局「何が寂しいのかよくわからない」という気持ちだったようだ。
私は、ボストンにだって一人で行く気満々。なんでも一人でできる気になっていたし、不安要素なんて何もなかった。
――が、現実はそんなに甘くない。

スーツケース5個+ゴルフバッグ1個。
今思えば、スーツケース5個+ゴルフバッグ1個を抱えて、どうやって私は一人で渡米する気だったのだろう。
そんな浮き足立つ私を支えてくださったのが、留学支援センターの方々だった。
「留学先の学校の先生方へのご挨拶もありますし、寮での荷解きもあるので、渡米の際はご両親と行かれてはいかがですか?」
と、優しく、でも確実に現実に引き戻してくださった。
こうして私は、父と一緒に渡米することになった。
14歳を送り出すということ
ここで、ちょっと家族紹介。
父は、時の流れがとても緩やかで、口数も少ない。基本的に穏やかだが、怒るとタチが悪い。何に怒っているのか分からないので、反省が見られない私の態度により、怒りは長引くということは多々ある。
一方、母は時の流れが2倍速。とにかく愉快で楽しいが、怒ると本気で命の危険を感じる。母の怒りのマックスは、
「吹き矢の刑にするか、丸坊主にするか、どっちか選べ!」
である。
そんな母は、とにかく料理上手。父と私は完全に胃袋を支配されており、完敗だ。派遣留学に不安があるとしたら、母のご飯が食べられないことくらいかもしれない。
この3人で、なぜか絶妙なバランスが取れている我が家。そんな家族で、今回は父と私の2人旅だ。事情があって一緒に行けなかった母は口には出さなかったけれど、どれだけ不安だっただろう。
……いや、違う。
一番不安だったのは、父のはずだ。
だが、母の不安をよそに、父の寮での荷解きは完璧すぎるものだった。私の寮生活がスムーズにスタートできたのは、間違いなく父のおかげだ。
私が留学に行くまでに、どれだけ努力をして、
どれだけ多くの人に応援してもらって、この夢を掴んだのか――
それは、また後々語るとしよう。
さあ、アメリカ。エチカが行くよ!!
「ついにやってきたBOSTON」





