2023.01.24
ニューノーマル #新しい年のはじめ方。
新しい年が始まる。
今回は「新しい年の始め方」がテーマだ。
編集部の仲間たちが、きっと前向きなコラムを書いてくれるだろうから
私は正直な自分の状況を書こうと思う。
実は、書く内容が何も思い浮かばない。
というより、考える余地が今の生活にはない。
この原稿の締め切りもとうに過ぎてしまっている。
このエッセイを書いているいまは、まだ2022年、年末近く。
我が家は新型コロナウィルス(以下コロナ)にまたしても襲われ、
何度目かの隔離生活をしている。
私の勤めている病院の治療部でも
別のクリニックでもクラスターが起きており、
医師、看護師、技師、事務員と
次々に陽性が確認されている。
3年ぶりに行動制限のない年末年始だと言うことだが
医療現場ではコロナによる職員不足や病床ひっ迫が未だに大きな問題で
コロナというやっかいものに苦戦を強いられている。
世間の流れと対照的に、
医療従事者はまだまだコロナが怖い。
コロナにかからず、人にうつさないように注力することが求められる。
少なくとも私は、いまだにコロナと戦っている。
コロナは
自分との戦いで
欲望との戦いだ。
2022年のこと。
もう慣れてもいいはずの、コロナ3年目だ。
私はアメリカから帰国していた親友家族に会う約束をしていた。
私も子どもたちも、みんなで検査をして陰性確認までしたけれど
どうしても会えなかった。
彼女と子どもはもちろん
彼女の地元の家族に私がうつしてしまったらと考えたら
会いに行くことができなかった。
九州から帰省していた親友にも会いに行けなかった。
当時私の病院でクラスターが起きていて
自分が感染源になることを恐れた。
ただの
心配のし過ぎかもしれない。
でも
自分がうつされるよりも
自分が大切な人にうつしてしまうことが
どうしても耐えられない。
それなりに外出したりできるようになったとはいえ
離れた場所に住む大切な人に会うことだけは
めったに叶わない。
職業のせいか
自分の性格のせいか
慣れてしまえない自分にうんざりするし
苦しくて、悲しいことが多い。
理想の「新しい年の始め方」。
できれば実家に帰りたい。
できれば友人と集まりたい。
できれば
何年も会えていない祖母に会いたい。
心から、会いに行きたい。
「まだそんなことを言っているの
コロナなんてただの風邪だよ
海外ではもうマスクだってしていない」
そう思う。
でも、私の根っこが、そう思ってくれない。
身内で大切な人だからこそ、会いにくい。
そうこうして会えないうちに
祖母は入院をしてしまった。
今年は何としてもと思うのに
罪悪感が足をまだまだ引っ張ってくる。
人混みに行く前後は
子どもたちも含め、毎回検査をしないと気が済まなくて困る。
どうかしている。
きっとやりすぎだってわかっている。
でもやはり
私の祖母は高齢で、踏み切ることができない。
さらに私は医療従事者で
接する患者さんは癌の方が多い。
病気と診断され、受け入れ、その病気と付き合って生きるということは
症状の有無にかかわらず
とても重く、悩ましいものだ。
私は毎日、それを患者さんから教わる。
大きな痛みや不安がなく過ごせるということが
すごく幸せなことであると毎日痛感している私が
コロナによって、患者さんやその家族に
余計な心配をさせることがあってはならない。
だからきっと、コロナに慣れられないのだと思う。
そんなわけで
大したエッセイは書けない、あきらめた。
新しい「新しい年の始め方」。
2020年コロナ感染拡大が始まったときから
我が家の正月の過ごし方に
選択肢はそう多くない。
望みが高いとかいうわけでもないと思う。
ただ祖母に会いたいだけなのだ。
私の足が地元に向く正月が来るといい。
私の願いはそればかりで
私はまだ
新しい年の
新しい始め方が
全然わからないでいる。