2022.04.14
ひいばあのおはなし #平和ってなんだろう?
私の祖母は今年95歳になる。
私が幼いころから、事あるごとに私に戦争の話を聴かせてくれた。
私の祖父(祖母の夫)は海軍の軍医で、1000人ほどの大きな船に乗っていたそうだ。
砲弾の嵐の中、自分の死を覚悟しながら仲間たちを海に飛び込ませて逃がしたという話。
山本五十六氏をブーゲンビル島で待っていたという話。
マラリアの兵士たちを診ていて、自分もマラリアになった話。
祖母の話には、とにかくよく祖父が出てきた。
どこまでが本当の話かは確かめようもないが、
毎回同じ話をしてくれる祖母にとっては真実なのだと思う。
終戦まで耐え、その後帰国し祖母と結婚した祖父は、私が3歳の時に亡くなった。
祖父について覚えているのは、
祖父の膝の上が私の定位置だったこと、「おやげねえなあ」という口癖(意味は私もよくわからない)、私の母が作った卵焼きが大好きだったこと。
この3つの記憶しかない。つまり、私は祖父のことをそんなに知らない。
それでも私は祖父のことや戦争のことを、自分の血として体の中に蓄えて生きていることを実感している。この理由は、まぎれもなく祖母が私にいつもこのことを話してきてくれたからだと思う。
私は祖母から戦争の話を聴くことが嫌いではなかった。
戦争に対する恐怖や嫌悪はあるものの、自分には関わりのない話のように感じていたからなのだろう。
祖母がそのとき話したいことや、涙なしで語れないことを、ゆっくり、何時間でも聴いてあげたいと子どもながらに考えていた。聴くことで、祖母に『大好き』を伝えていたのだと思う。
私にとっての戦争は、大好きな祖母をいまだに泣かせることだけが憎く、正直なところ、それほど大きな個人的恨みはなかった。
数年前のこと。
実家に帰省をした際、祖母はひ孫(私の息子たち)に、いつも私にしていたような戦争の話をした。
私が聴いたことのなかった祖母の女学校時代の話や、
観音山の立派な料亭が学徒の寮になり、土足で出入りされめちゃくちゃになってしまった話なんかもしていた。祖母の目には、やはりたっぷりと涙が浮かんでいた。
息子たちは意外にも、熱心にひいばあ(息子たちの祖母の呼び方)の話を聴いた。
「その時ひいばあどこにいたの?」
「ひいばあ怖かった?」
祖母の目に浮かぶ涙をみて、普段はあまり落ち着いて話を聴かない息子たちも、いつもと違う雰囲気を察したのか、自分たちもひいばあの戦争の話を聴いておかなければならないと感じたようだった。
息子たちは、「ほんとの話?」「かわいそう」と言いながら、
彼らもまた感じるものがあったのか、涙の目をこすりこすりよく聴いていた。
とはいえ彼ららしく15分程度で飽きてしまい、そのあとは何事もなかったかのようにいつも通りのわんぱく少年に戻り、あっという間に戦争の話など忘れたようだった。
この日以来、私は祖母に会えていない。新型コロナウイルス感染症が拡大し、東京で医療職に従事している私は、祖母に会いに行けない。この間に祖母は入院をしてしまって、その生活ももう1年近くになるらしい。
故郷を毎日思いながらも忙しい生活をしている私に、10日ほど前、子どもたちが言った。
「ねえ、ひいばあに電話しよ」
実家に電話をかけるときに、母や祖母に声を聞かせてあげてほしいと私から子どもたちに頼むことはあっても、子どもから言われるのは初めてだった。
「ひいばあ、思い出しちゃった? 大丈夫?」
電話に出た祖母に、子どもたちがまずこう言った。
私は、どうして子どもたちが祖母に電話をしたいと言い出したのかすぐにわかった。
2022年3月、いま戦争が起きている。
ロシア軍がウクライナに侵攻している。
私と息子たちが昔話のように思っていたことが、実際に起きている。
無慈悲に家族と引き離される同世代の子どもたちが、毎日テレビに映る。
お父さんと引き離され、泣き叫ぶ子ども。
一人で泣きながらあてもなく歩き続ける少年。
逃げ道をつぶされ、寒い地下で恐怖とウイルスと戦う人々。
瓦礫まみれの広場。
モザイク越しにありありと浮かび上がる遺体の山。
人が殺され、町がなくなるという事実は、息子たちをおびえさせた。
SNSの普及により、渦中からの情報がリアルタイムで拡散される戦争。国の意図を汲んだプロパガンダではなく現地で苦しむ個人の悲鳴が直に聞こえる。世界各地での出来事がすぐそこで起きているようにさえ感じる。
かといって全てを鵜呑みにしていいということでもないらしく、息子たちからフェイクと真実の判断を問われても、自信をもって正解を教えてやれない親としての苦しさがある。時代に合った矛盾だ。
これに対し、技術がどれだけ進化しても戦争が止まらない。
持続可能な社会を実現するためにSDGsという目標を掲げ、世界中が考え方や行動をシフトしている中で、武力行使という時代錯誤の方法がとられた。後世に長く続く平和を目指しているはずなのに。息子たちだけでなく、時代にそぐわないこの矛盾に誰しも心をかき乱されている。
息子たちは、ひいばあからあのとき聴いた戦争が、今まさに起きているのだと気が付いた。
ひいばあが戦争を思い出して苦しんでいるのではないかと心配した。
「ひいばあ、思い出しちゃった? 大丈夫?」
電話で息子が言ったこの一言で、何年も何十年もかけて祖母のやってきたことに答えが出たような気がした。
祖母が伝えてくれていたことは、ただの昔話じゃなかったんだ。
『戦争なんてしちゃいけないよ、力ずくで人を支配なんてしちゃいけないよ』、というメッセージだったんだな。
武力で相手をねじ伏せたり何かを奪おうとしたりすると戦争が起き、人が不幸になる。
今私たちがいるこの安全な場所は、戦争に苦しんだ人たちが守ってきてくれた場所だ。
そのことを再認識すると同時に、私たちの大切な人や場所も戦争に奪われるかもしれないという恐怖にも襲われるようになった。
何か、しなくちゃ。
戦争をしている場所からこんなに遠い国で涙を流しても、
個人でできる少しの寄付をしても、
こんな風に文章で訴えたって、戦争を止めるにはもちろん足りない。
でも
何か、しなくちゃ。
祖母は、経験と教訓を何度も私たちに伝えてきてくれた。
小さいことのように見えても、何度も積み重なると大きくなる。
一人ひとりがアクションを起こし、それがたくさん集まれば、今と未来をよくできるかもしれない。
ありがとう。
私もやるね、おばあちゃん。
私ができることなんてちっぽけだけど、
それでもできることがあるから、やるね。
戦争の渦に巻き込まれてしまっては、個人の平和は在り得ない。
自分の命の端っこを、他者に簡単にちょんぎられることのない世界であってほしい。
戦争が今すぐに止まることを願っている。
戦争なんて言葉さえ、消えてなくなってしまえと思っている。