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2021.12.27

FAMILY/家族・子供

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「入院してもいいよ」#2021年どうだった?

 

振り返ってみると、2020年から引き続き新型コロナウイルスに占められた年だった。
それでも、失うものばかりではないなあと思えるような出来事もあった。

2人の息子が私に
「入院してもいいよ」と言ったことだ。

この言葉を説明するためには、2020年の前半から振り返る必要がある。
新型コロナウイルス感染症(以下コロナ)の流行が始まり、私たち家族の生活は変わった。
世界中がパニックに陥り、少し遅れて日本でも緊急事態宣言が出た。

医師である私は
仕事があることをありがたいことだと理解しながらも
得体の知れないウイルスの恐怖に気持ちが負けそうになっていた。

我が家では2020年の3月からの数ヵ月間、家庭内でも隔離をした。
夫がコロナ受け入れ病院で勤務をしていたからだ。
子煩悩な夫が子どもに指一本触れず、家族を守るために一人になった。
寝室、食事をすべて分け、トイレは簡易トイレを使用した。

私は最前線でないものの、コロナ患者さんとの接触はあったから、
そんなときは私もできる限り自分を隔離した。

家の中でも常に家族全員がマスクをしていたし、
少しの体調不良やコロナ接触があるたびに私たちだけでなく子どもたちも隔離し、
PCR検査を受けさせ、陰性でも学校を何日も休ませた。

職業柄、自分の子どもから感染を広げることや、私が患者さんにうつすことが絶対にあってはいけないという思いから、子どもに対してもかなり厳しい管理をした。

「2020年前半。新型ウイルス感染症の蔓延に混乱し、自作した隔離部屋。」

一斉休校のため、家にいる子どもたちを置いて仕事に出ていくとき、彼らは泣きじゃくって私を止めた。
「お母さん、行かないで」
「コロナになっちゃ嫌だ」
「こわいよ」
私は、自分が今まで働き続けてきたことをひどく後悔した。
彼らと一緒にいてあげたかった。

「ごめんね。お仕事、行ってくるよ。ごめんね」
こう言って朝、彼らの頭をなでるときでさえ
私はマスクと手袋をつけていた。
大げさではなく、会えるのはこれが最後かもしれないと思うとなかなか離れられなくて
何度も子どもの涙を拭いてやってから家を出た。

小学校の授業がオンラインになってからは、お互いにもっと心が荒れた。
仕事がひと段落した昼過ぎ、留守電に残っているメッセージに気づく。
「どうしよう! 授業に入れない! ねえ! なんで! ねえ! 出て!」
そう残した息子の声は、悔しさと涙でおぼれそうになっていた。
接続がうまくいかず、オンライン授業に入れなかったようだ。

「ごめんね、またやり方を一緒に練習しようね。授業は気にしなくていいよ」
当時は余裕がなくて、泣いていることに気づかれないようにそう言うしかなかった。

「いつまでこの生活が続くのかと不安に襲われた。」

また、職場に子どもを連れて行かざるを得ない日もあった。幼稚園は休園。そもそも家族以外の人との接触を避けなければならない状況なのに、仕事を休めず、最も感染リスクの高い病院に連れて行かなければならないなんて。

大切な子どもたちを安心させてあげられる母親でありたかったのに
それができない自分を責めて、責めて、泣いて、また責めた。
子どもを連れて行かせてもらえる職場であることに、感謝する余裕さえ当時はなかった。

一方で、仲間の医師やICUの看護師が、家にも帰れず疲弊していた。
テレビをつければ毎晩のように、指導医が奮闘していた。

結局私は、微力ながら医療現場にとどまることを選び、
自分がなりたい母親像からどんどん遠ざかった。
苦しかった。

こんな生活が続き、私は家でも職場でも自分を責め続けていたが、
意外にも子どもたちは、それなりに楽しみを見つけながら順応した。
今回のウイルスの感染様式を理解し、人を守るための行動をとれるようになった。
普段は見ない私の働いている姿を見て、職場での私の絵を描いてくれたりもした。これを見ると涙が出てしまう、今でも。

「当時5歳の次男が描いた『お母さんが働いているところ』」

改めて振り返ってみると、当時のパニック具合がよくわかる。
そして今は少しずつコロナに慣れてきたのだなあと実感する。

2020年が終わり、何度かの緊急事態宣言を超え、やっと新規陽性者数が落ち着いてきた2021年11月。
私はこの月に入ってすぐに体調を崩した。持病の喘息が悪化し、毎日吸入や点滴治療をしていたにも関わらず、あれよあれよという間に呼吸状態が悪くなった。横になると咳が止まらず、眠ることさえできなくなった。

それでもなんとか入院をせず、子どもたちのごはんを準備する私を心配して、長男がこう言った。

「お母さん、入院してもいいよ」

小さな声だが、覚悟の顔だった。
口元はへの字に曲がって震え、鼻は真っ赤で、涙がたくさん溢れていた。
長男の横で、次男も涙目だった。

聞くと、2人で話し合ったという。
見ると、2人はぎゅっと手を握り合っている。

「ごはんの用意とかさ、大変だしさ、僕もう頑張れるしさ。入院したら休めるでしょ。そしたら病気良くなると思うからさ」

入院してもいいと言った理由を、精一杯の小さな声で、大きな涙を落しながら、ゆっくり、ギリギリで、絞り出してくれた。

ありがとう。

すごい。

すごいね、すごいよ。

「入院していいよ」
去年だったら、言えなかっただろうと思う。
あの1年があったから、この言葉が言えた。
あの1年があったから、子どもたちは強く、大きくなった。
私が入院しない理由も、彼らにはお見通しだった。

そっか、大丈夫なんだ。
もう2年も続くこの生活に、子どもたちから一つの答えをもらった。
母親として、私にとってはとてつもなく大きな手応えだった。

「自分のことは自分でやろうと頑張った自粛生活。」

どんな環境に置かれても子どもは柔らかで、変化できる。
経験をしっかり自分の肉にして成長していく彼らを尊敬するし、頼もしいと思う。

だからお返しに、私も去年できなかったことをした。
彼らを思いっきり抱きしめて、
素手でほっぺをムニムニ触って、
頭をグシャグシャなでまわした。

「ありがとう! すごいよ! ありがとう!」
感謝を伝え、ひどい咳をしながら一緒にわんわん泣いた。
涙と鼻水でびしょびしょになったマスクなんて、見えないぐらい遠くへぶん投げた。

2021年。
命があって、子どもと一緒にいられたのだから
なんてったって、良い年だった。

うれしさも、苦しさも、隣となんて比べられない。
自分ができることをできるだけ、今年も、来年も、いつでも。

須藤 暁子

医師、作家、2男児のママ。
子どもから学ぶ「育自」と「命の尊さ」を伝え支持を得る。

医師、作家、2男児のママ。
子どもから学ぶ「育自」と「命の尊さ」を伝え支持を得る。

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