2021.05.29
性教育は「5歳では早すぎる」という感覚はもう古い!我が家の性教育への向き合い方 #生理と性を考える
「性」に関して結構オープンだった両親
「おっぱい」「おちんちん」「うんち」!
現在5歳の次女は、いわゆる下ネタワードオンパレード時期です。誰もが通る時期であり、私自身もこの頃は弟といつも面白がって連発していたなぁと思います。その頃を思い出してみると、「面白いから」、理由はそれだけで、そこに”卑猥”な感覚などなかったなと思います。
だからこそ、ここで「そんなことを言ってはいけません」と頭ごなしに抑えるのではなく、むしろこのタイミングで、性の話に繋げていけばいいと思っています。
こうやって自然と思えるのも、前回の「ジェンダー平等」の記事にも書いたように、両親の影響が大きいなと改めて感じます。
ですので最初に少し私の記憶を辿りながら、私の「性」に関わる感覚がどのように形成されたかと同時に、親の意識や対応が子どもにどのような影響を与えるかを一緒に感じてみていただけますでしょうか。
私の母親も父親も、今考えると「性」に関して結構オープンに話してくれていました。
我が家の次女の年齢ぐらいだと、男の子は自分のおちんちんの存在に気づき興味を示して触る時期だし、女の子も、男の子とのからだの違いに興味を抱く時期。
実際私の弟も小さい頃興味を示して触っていましたが、母親が「やめなさい」と頭ごなしに言っていた記憶がなく、むしろ「無理に止めさせようとするから性に対しての感覚に歪みが生じる」とよく言っていたのを覚えています。
「そこは○○くんにとってとても大切なところだから、おうちではさわっていいけど、他の人といるときはさわらないようにしようか」とも言っていた気がします。
また、よく覚えているのが、私が初潮を迎えた時。家にいてトイレに行ったら月経に気づいたのですが、その時家には父親と私だけ。でも「パパー! たぶん生理―!」と臆することなく父親を呼んで、父親も「ママのナプキンがこの棚の中にあるはずだから、これを使いなさい。付け方はパパよくわからないけれども」と冷静に対応してくれました。それぐらい、「性」にまつわる話が親に話しやすかった記憶があります。
思春期になる頃には、避妊の大切さについても母親から聞いていたので、自然と「自分のからだを自分の許可なく他人に触らせるのはおかしい」という感覚も身についていたように思います。これは「自分で自分の身を守る」という意識形成にも繋がっていて、中高大は電車で学校に通っていたのですが、当時も通学中の痴漢はやはりあり、それでも触られたら護身用の小さいスタンガンみたいなものを相手に当てたり、「痴漢です! 助けてください!」と大きな声で叫んだりもしていました。
思い返してみると、「自分が我慢しなきゃ」とか「言ったら恥ずかしい」という感覚がなかったなと気づきます。
「性教育・開始年齢」で検索してみると、ユネスコが2009年に発表した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」が出てきます。その中では開始年齢は5歳とされています。おぉー、今の次女の年齢だと思うと同時に、まぁそうだよな、と腑にも落ちます。
なぜなら、私たちの子ども時代に比べて、今の子どもたちは生まれた時から容易にインターネットにアクセスできる時代。ちょっとクリックすれば、5歳以下でも、歪んだ性の表現や画像なり動画なりを見ることができてしまう。
外からの歪んだ情報で「性」に関わるイメージや感覚が確立されてしまう前に、親である私たちが正しい知識や感覚をきちんと伝えていくのは必須だなと改めて思います。
日本では性教育が長年タブー視されてきたようですが、もうそんなことは言っていられない時代。「5歳は早すぎる」という感覚は、もう古いのかもしれません。
我が家の性教育への向き合い方
ここからは、現在我が家がどのように性教育に向き合っているかを少しご紹介させてください。
1.「あなたたちは愛そのもの」「望まれて生まれてきた奇跡の存在」だと伝える。
言葉で伝えるのはもちろんですが、我が家のリビングの中心の壁には、私たち夫婦の愛の軌跡・そして家族の軌跡の写真を飾っています。家族ができたらずっとやりたいと思っていたこと。婚約から結婚、妊娠、出産、子どもの行事など、我が家の歴史計14枚を約4年前から飾っています。
一番左下に飾ってある写真は、次女妊娠時、臨月の時に撮影したマタニティフォト。その上にあるのは、私たち夫婦が婚約した当時の写真です。
毎日意識して眺めているわけではないけれど、すぐ目に入る位置にあるので、娘たちも写真が目に入り気になったことはどんどん質問してくるように。
たとえば、
「この写真はママのおなかの中にいるの?」
「そうだよ、早く会いたいな、ってみんなで話しかけているところだよ」
とか、
「ダディとマミーは大好きだからけっこんしたの?」
「そうだよ、大好きだから結婚して愛し合って2人は生まれてきたんだよ」
など。
自分が望まれて生まれてきたことや親の愛を写真を通して実感できることは、彼女たちの自己肯定感にもつながるはずだと思っています。
それだけではなく、
「どうやって生まれるの?」
「赤ちゃんは、どうやってできるの?」
といったことにももちろん興味津々。
こういった質問に咄嗟に上手く説明できないなという時のために、前回の記事でもご紹介した絵本を活用しています。
2. 明るく伝える。一緒に学ぶ姿勢で。
その絵本は、こちら。
前半は、子どもと一緒に読みながら学べるような構成。性と生と死という、命の循環についても触れている良書で、かわいい絵と共に大事なことを隠さずしっかりと、且つわかりやすく書いてくれています。また、後半は、親としての心構えや子どもへの伝え方のアドバイスなどが書かれていて、とても読みやすい上に私自身の学びにもなっています。
とはいえ、初めはちょっとドギマギモゴモゴしちゃったり(笑)。 でも、やりながら思うのは、慣れる(笑)。そして、8歳と5歳の娘たちの反応を見ながら感じるのは、素直に受け入れてくれるということ。今に比べて性教育はタブーな幼少期を過ごしてきた私たち世代はどうしても、子どもの反応に一抹の不安や心配が伴うのは自然なことだけど、だからこそ、今の子どもたちが将来そうならないように、今親である私たちがその殻を破って伝えていかなくてはならないんだなと思います。そして、やはり素直に受け入れてくれやすい早い年齢から始めた方が良い気も。
また、質問されてすぐに答えられない時は、「ママもわからないから調べるね」と言ったり、「どんな風に生まれてくるのかな」と一緒に想像しながら話したりと、「親だからきちんと教えなければ」とあまり気張っていません。それに、子どももその方が楽しいんじゃないかなとも思うのです。
親がからだの一部の正しい名前を口にせずごまかしたり、「そんな言葉はまだ言ってはダメ」などと伝えたら、純粋な子どもたちには「言ってはいけないことなんだ」「変なところなんだ」という印象しか残らないはず。”卑猥”というイメージは与えたくないですね。
決して変なところではなく、とてもとても大切なからだの一部。
正しい名前や、これから自分のからだに起きる変化について、段階をふみながら少しずつ明るく伝えていくことは、もっと自分のからだを愛おしく感じるのではないかなと思うし、変化がきた時にも不安にならず安心感にも繋がると思います。
3. 性犯罪から守るために
最後に。ここも親として日頃とても気を付けているところです。冒頭で私の痴漢の経験を綴りましたが、今もあらゆる性犯罪はありますよね。
警察庁のホームページに掲載されている統計を見ているだけでも、残念ながら、子どもを対象にした性犯罪の件数は年々増加するばかり。しかもこういったところに載っている数もあくまで検挙されている氷山の一角。地区や学校からの不審者情報も多いので、検挙されていない数の方がもっと多いはず。
だからこそ、こういった点からもなるべく早い時期からの性教育は大切だと思っています。それは、自分の大切なからだを自分で守る意識を養うことにも繋がるからです。
とはいえ、「世界は美しい」「善い人もたくさんいる」と、生きる希望を持ってほしいとも思うし、ただでさえこのコロナ禍で大人の不安や恐れも伝わりやすいので、あまりにも幼少期から、「世の中には悪いことをする人もたくさんいる」と教える代わりに、我が家はまだ1人で外を歩かせないようにしています。
これはアメリカ人の夫の影響が強いです。アメリカは、高校生まで家の前までバスなどによる送り迎えは必須であり、家に1人でいるのも禁止されています。もちろん、銃社会など日本に比べて他の犯罪も多い国ではあるので理由は様々ですが、とにかく危険から身を守るという意識がかなり強い。
私も以前は、「そこまで神経質にならなくてよくない?」などと言っていたのですが、やはり私の幼少期と比べていろんな側面から時代は変わっているということ、後悔してからでは遅いということも含め、自分で自分の身を守れるようになる頃までは、しっかり守ってあげたいなと思っています。
私が痴漢に対抗していたように、善悪の判断がつき、防犯グッズも身につけ自分で声をあげられるようになる頃……いつ頃でしょう? まだわからないですが、娘たちの成長を見て、その時その時の感覚を大切にしながら、見守っていけたらなと思います。
性教育はいつから始める? 我が家の場合は、子どもが興味を示して素直に聞いてきた時。これからも、子どもたちと一緒に学ぶ姿勢で、楽しく性教育に向き合っていけたらなと思います。