2021.03.05
ジェンダーの論争の前に、どんな人間になってもらいたいか #ジェンダー平等って、なに?
働きながら感じたことは
ジェンダーという言葉を日本でも最近はよく聞くようになってきました。
おそばせながら!
ジェンダーとは社会的、文化的につくられる性差を意味しています。
私が社会にでた年1989年は男女雇用機会均等法が3年前に施行された年でした。
企業における募集、採用、配置、福利厚生、昇進や退職における様々なカテゴリーの中で男女による差がないことを示す条文。
それでも、働きながら感じたことは、退職時の理由が“結婚”であることが誰からも祝福されることとしてまかり通っていたことの違和感。
寿退社という言葉の持つ威力が、多くの女性のあこがれであったことも確かでした。いつまでも働き、お局になってはいけないという雰囲気があったことも事実。
また、職種によって男性と女性の呼び方も違っていました。
女性の保育士のことを保母、男性の保育士の事を保父。女性の看護師のことを看護婦、男性の看護師の事を看護士というように。
現在では同一になりましたが、少し前まで同じ仕事をしている男女に対して区別がありました。
ジェンダーレスという言葉は性差にとらわれた固定概念を持つことをやめようという考えなのに対し、ジェンダーフリーは性差による役割分担にとらわれないで、皆が平等にそれぞれの生き方に向かっていけるようにとの意味合いを持ちます。
国によっても法律も違い、その社会の在り方によっても、ジェンダーという言葉の意味合いから受け取り方までまるで違い非常に難しく複雑であり、この論理と論争は長く続くであろうと考えています。
ジェンダーの平等は「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を構成する17のグローバル目標の1つであることからも日本もしっかりと取り組むことが必要になってきています。
ジェンダーの論争の前に、どんな人間になってもらいたいか
2021年からスタートする新しい未来を作り上げる子どもたちに私たちは何を残していけるのであろうか。
ジェンダーの論争の前に、私も12歳の男の子を育てている真最中。男の子を養育中に感じることは、どんな人間になってもらいたいか。どんな大人に育っていってほしいか。悩みながらも、放つ言葉ひとつ考えることが多くあります。
男らしさ! を期待するのではなく、人として愛情深く、自身の生き方に自信もって邁進してほしい。周りに対して思いやりの心を持って、社会に貢献できる人であってほしいなど。男性だから女性だからではなく、人として温かい心をはぐくんでほしいと考えています。
私は仕事柄フィトテラピーというケアを子どもにします。ハーブのオイルを使って肩や腰のマッサージ、風邪をひきそうなときのエキナセアをコップの中でつくり飲ませる等。
そのケアを彼はしっかりと学んでいて、私の不調の時に反対にオイルマッサージやハーブチンキなどを作ってくれるのです。
ジェンダーフリーであることを考えながらも、子育てで重視していきたいと考えること。
性差において差別なくフレキシブルで温かい感性を持つ人であってほしいと思うばかりです。その子どもたちが次の未来に性差で苦しむことのないような未来の基盤を、今私たちが作り上げていきたいと感じるこの頃です。