2020.10.26
ぼくの子ども #ママ的サステナブル
さっきまでの君との会話を
寝顔を見ながら思い出す。
君は、ニコニコして言ったね。
「ねえ、ぼくに子どもができたら、どんな顔なのかなあ」
すごく驚いたよ。
まだまだ手がかかる君が
将来のことを想像して
子どもの名前まで考えて、
家族をもちたいと、もう考えているなんてね。
でも、君はつづけたね。
「昔ってこんなに暑くなかったの?
ぼくの子どもさあ、マスクなしで外で遊べるのかなあ?」
子どもからの問題提起は衝撃的で
私は答えをごまかすことができなかった。
とてもじゃないけど
「もう少し我慢したら、すぐによくなるよ」
なんて言ってあげられなかった。
いま地球で何が起きているのか
これからどうなるのかなんて誰にもわからない。
果たして私の孫が産まれてくることが
本当に君や孫のために幸せなことなのか
わからないって思ってしまったから。
明確な答えを出せぬまま
私の子どもの頃の話になった。
「お母さんが小さい頃はね、
近所にも家にも子どもがいっぱいいて
お友達や親せきの子とたくさん遊んだし
ケンカもしたよ。
大人もいっぱいいたねえ。
みんな、どこの誰だかわかっているから
悪いことなんてできなかったなあ。
木に登っても花火をしても
そんなに窮屈に怒られることはなかったけれど
悪いことをしたら知らない人にだって本気で怒鳴られたんだよ。」
そんな話を聞いて
たった1世代しか違わないのにまるで大昔のことのように
「今と全然違うね!」
と、君は面白がっていたね。
いたずらっ子の顔だった。
でもその時、どうしても君に言えなかったことがある。
私が子どもの頃は
毎日遊ぶことに忙しくって
宿題もせず
ランドセルをぶん投げて
一目散に友達に会いに行っていたってこと。
何も心配なんかなく
何も考えず
ただ子どもらしく遊んでいたってこと。
言えなかった。
だって今の君には
それをさせてあげられないから。
友達とゴロゴロ取っ組み合うことも
田舎のおばあちゃんに会いに行くことも
素顔で外へ出ることさえもできず
たくさん我慢をしている。
たったの30年もたたないうちに
同じ日本の子どもと思えないほど
変わってしまったんだなあ。
私、謝りたい気持ちだったけれど
ごめんねも、言えなかった。
だって、謝ったら
『生まれてきてくれたこと』を
『不幸なこと』のように
感じさせてしまう気がしたから。
時代のせいにして。
「大丈夫。何があっても、お母さんが守るから。」
苦し紛れにこう言った私に
(本当かい。その答えは適当じゃあないなあ。)って、
すかさず私が内側から攻めてきた。
母親の葛藤なんて知らない君は
かわいいにっこりを返してくれた。
君が子孫を残したいと思うことも
私が君を守りたいと願うことも
人間が動物としてもつ「本能」であるはずなのに
その「本能」を維持することさえ
ためらわなくてはならない時代が来るなんて。
未知のウィルスの恐怖
動物たちの苦しみ
空からの大量の涙
山のごうごうと燃える怒り
地球の発熱。
私たちが作ってきた「新たな日常」が
いよいよ子どもたちを苦しめ始めたのかもしれない。
これまでの『当たり前』が、『最高』だったってことに
恥ずかしいけれど、君の一言で気付いたよ。
便利ばかりを追って進化をしてきたけれど
それを見直し
未来につながる不便を選択するという進化も
必要なのだろうね。
人は死ぬ。
でも、私たちは途切れない。
これからもそう言えるように。