2021.01.11
「なんで、私は罪悪感を感じるんだろう」の答えの見つけ方。#食べること、生きること
私は完璧主義者とよく言われます。
本当はそんなこと全然なくて、いつもそういう風に見られる自分との闘いが小さい頃からずっと続いてます。
今回は、そんな私がすごく気持ちが楽になった「食」にまつわるお話です。
冷凍食品を初めて使ってみた
私の母は、自称“家事が嫌い”。でも、料理がすごく上手でした。
家事が好きじゃないと言いながらも、いつも美味しいご飯が食卓に並んでいて、
家のご飯は何を食べても本当に美味しいなといつも子供心ながらに思っていました。
そんな母に育てられたので、出来合いの惣菜や冷凍食品には全く縁のないまま母となり、
今度は私がご飯を食卓に並べる番になりました。
どんなに忙しくても手作り、勝手に手作りの呪縛に囚われながら、必死に、いや半分意地で、ご飯を作り続けてきたなぁと今となっては思います。
昨年、オイシックス・ラ・大地と関わるようになり、最初は、商品を知るという意味で、Oisixの冷凍食品を、本当に初めて、使ってみました。
その初めて使うときの自分の謎の葛藤ったら……、もう自分でも驚くほどでした。
冷凍コロッケ、冷凍餃子、冷凍メンチカツ。
Oisixの安心・安全基準だし、大丈夫、大丈夫。そう言い聞かせながら、初めてのトライ。
え? なんだ、これ、美味しい……。
簡単……。揚げるだけ。焼くだけ。
なんで今まで使わなかったんだろう……。
そして、すごく気持ちが楽になった。
お弁当にもこれでいいのか。朝、20分でお弁当できるな……。
でも、なんだろう、冷凍食品を使っていると、堂々と言えない、言いたくない、この感じ。
まだ答えは見つかってないのですが、この見えない「罪悪感」から解き放たれると、もっと肩の力は抜けるんじゃないかなぁと。
そういう訳で、「冷凍食品」をきっかけに、自分で自分に色々な見えないルールを作っていたんだなあと気づいたんです。それは料理に限らず、色々な面で。
基本的に、料理は私のストレス発散なので、好き。
余裕がある時はもちろん全て手作りだけど、そうじゃない日があってもよいと、最近やっと思えるようになって、すごく気持ちが楽になりました。
子どもたちに「愛」を伝える食卓をどんな気持ち、表情で囲むか。
お弁当にどんな想いを詰めるか、が大事なんだなぁと。
必ずしも、手作りだけが正義じゃない
コロナ禍で長男の中学校の学食が閉まってしまって、予想外のお弁当作りが毎朝5:30から。
春からずっと続いています。
週に1回、コンビニのおにぎりを持ってくる子がいるらしく、どうしたの? と聞いてみたら、
「週に1回はお母さんを楽にさせたくて」とその子が答えたらしいんです。
その子なりの、お母さんへの思いやり。
お弁当作る大変さを気づいてくれたんだ。
優しいなぁ。
なかなかママからは言いづらかったよ。
きっとそのお母さんは沢山のありがとうを心の中で言ってるんだろうな。そう思いました。
オイシックス・ラ・大地に私が参戦した、1番の理由は、フィロソフィーに強く共感したからなんです。
「食にまつわる社会課題をビジネスの力で解決する。」
その言葉は今の私に等身大で突き刺さって、何か自分が力になりたいと強く思いました。
食品ロス、環境問題、孤食、偏食、貧困……。解決しなければいけない食課題は世界中に山積みだけど、
家庭内にも小さな、でも大きい社会課題が沢山あるな、と自分が冷凍食品を手に取って感じたその気持ちと向き合って、改めて感じました。
家庭内に散らばる沢山の「食」課題を少しずつでもこうして共有して、共感を力に、解決していければと思っています。
共感は誰かの勇気に。
いつもどこかで誰かも頑張っていて、同じ気持ちかもしれない、それが私の原動力です。