2021.01.08
コロナで激変した我が家の食品ロス事情 #食べること、生きること
食品ロス偏差値の低かった我が家
実は我が家では結構食べ物を捨てていました。買ったのにすぐ調理しなかったら色が変わったひき肉、半分食べかけのお豆腐やヨーグルト、買いすぎてしなびた野菜や果物、必要ないけど目新しくて買ったジュースなど、本当にたくさん。
もったいないなとは思っても、なんでもすぐにスーパーに行けば買えるし、「やっぱり新鮮な方がいいわよね」なんて言い訳も手伝って、本当にポイポイと捨てていました。
それがコロナ禍で一変したのです。アメリカはご存じのように感染者も非常に多く、ロックダウンもありました。私が住むワシントンDCに外出制限が出されたのは3月でした。
外出は1日1時間ほどのエクササイズのためと食料確保のために制限されました。そこで誰が買いに行くか、が問題になったのですが、我が家で一番風邪をひかないのが私なので、私が食料買い出しの係りになったのです。
食料は命がけで確保するもの
そうするとこれまで私が感じていた食べ物に対する思いが全く変わってきました。それまで食べ物と言えば「いつでもそこにあるもの」で特に意識したことはありませんでした。それが「命がけで確保するもの」になったのです。
スーパーは人数制限があり、外で1時間も2時間も待ちます。2メートル間隔で待っていても誰かが咳をするとそれだけでビクッとします。スーパーに入っても「これって安全かな」なんて不安が首をもたげます。
「同じものは2つまで」という個数制限を睨みつつなんとか家族が好きそうなものを確保します。残り少ない時なんて、思わずスーパー内一方通行を無視して逆走してでも確保したくなる気持ちを抑えないといけない。
買うだけでも大変なのに、これまででは考えられなかった精神的葛藤が付きまといますからもうヘトヘトです。
車で行くと駐車場の列に並ばないといけなくてもっと時間がかかるから、食料を入れるカートを持って歩いて行きます。帰り道は坂道のところにくるともう押しても引っ張ってもダメなくらい重いこともあって、涙が出そうになります。カートから何かが道に落ちたりするともう心が折れそうです。
そこでたまたまお店のウィンドーに移った自分の姿を見ちゃったりすると、本当にもうダメって思っちゃいます。だってマスクに安全メガネに帽子にゴム手袋の完全防備で必死の形相でカートを押している姿がそこに映っているから。もうがっかりを通り越して自己肯定感まで下がりそうです。
そんな大変な思いをして家に着くと今度は消毒作業があります。野菜は全部洗って、瓶や缶は全てアルコールで拭く。冷蔵庫に入れるまで1時間待つ。
これまで30分もあれば済んでいた作業に数時間かかるようになりました。すごい形相でカートを押す自分に耐え、命がけで食料を確保する、それが毎週一回繰り返されます。
食品ロスの急先鋒
だから私の中で食べ物はこれ以上ないくらい神聖なものとなったのです。捨てるなんて考えられない。こんな思いをして確保した食料だからなんとしても全て食べ切る。絶対無駄にしない。
環境問題から食品ロスを解決しようという意見はそれまでも聞いていたし、重要だと思っていましたが、私の中には切実さが欠けていました。なんとなく「他の人の話」「誰かがやってくれればいい」という人ごと感覚がありました。
ですが、コロナ禍で私は食品ロスの急先鋒になったと言っても過言ではありません。しなびて元気がなくなった野菜や果物はジュースやスープにして食べ切る。残ったら冷凍して食べる。
お肉やお魚はすぐに使わない時は冷凍する。だから最初から冷凍することも想定して食材を選びます。
乳製品は必要最低限だけ買う。食べなくても栄養上は問題ないからです。ある一定の年齢になれば避けた方がいいとも言われていますしね。
夕飯の残りも全部冷凍します。そして食べ切る。
グルメな夫は言いたいことがありそうですが、私が髪を振り乱し、坂道をカートを押して歩く姿を見ていたからか、沈黙を決めています。ここで何か余計な一言を言ったら数十倍になって返ってくる、だったら食品ロスに協力しよう。きっとそんな感じでしょう。
でもね、美味しいのよ、しなびた野菜と果物のジュースやスープ。この美味しさがわかるようにこれからも夫の食品ロス教育を続けていきます。そして環境問題に貢献したいと思います。