2020.11.16
強い部分も弱い部分もすべて受け入れて「どんなあなたでも愛しているよ」と伝え続けていこう #自己肯定感って、なに?
子どもという存在が尊い理由
「ママが大好きなかわいい子はだれでしょうか〜」と問いかけると「はーい!!」と何の躊躇なく自信満々に手を挙げる娘たち。微笑ましい親子のやりとりの一つだが、これって結構すごいことだ。
ママから愛されているという実感と、自分はかわいくて愛おしい存在なのだという揺るぎない自信がないと、こうも堂々と手を挙げられない。これは嫌味でも何でもなく、これこそが子どもという存在が尊い理由の一つだと思うのだ。
私が「自己肯定感」というキーワードと深く向き合ったのは、子どもを産んでからだ。
年齢を重ねるにつれ、いい意味でも悪い意味でも世界が広がり、現実を知り、幼き頃に持っていた根拠なき自信は徐々にすり減っていた。何とかなるだろうと楽観的に捉えていた子育てでつまづいたことが追い討ちとなり、「一体何のために存在しているのだろう」と自己の存在意義を見出せなくなった自分にとって、冒頭の娘たちの姿は本当にキラキラ眩しかったのだ。
「自分は愛されてしかるべき存在だと、みじんも疑わずに思えることって、生きていく上ですごく幸せなことだ。できればこのまますくすく育ってほしい」という強い思いが、自己肯定感について考えるきっかけになった。
自己肯定感が強い人にある共通点
自己肯定感について調べていると、ヒューストン大学で勇気や心の弱さなどについて研究をしているブレネー・ブラウンさんという方にたどり着いた。
膨大な研究過程において、自己肯定感が強い人にある共通点を見つけた、という話が面白いのだ。
それまで私は、自己肯定感を高めるためには大小関わらず成功体験を積み重ねていって、その結果得た自信が自分への肯定へつながると思っていた。だから自分を好きになるためには、ある程度努力をしなければならないし、頑張ることも大事なのだ、と。
でもブレネーさんが見つけた共通点は「弱さや傷つきやすさを認め、さらにそれを無防備にさらけ出している」という特徴だった。
この事実を知ったとき、目から鱗が落ちた。
必要なのは、自分を変えていくことじゃない。
自分の弱い部分、できないことを丸ごと受け入れる、あるがままの自分でいいと自分で認めてあげることが一番大切だったのだ。
だから完璧主義時代の自分はいつまでたっても満たされなかったのだ。
あれができていない、これが足りていないと、不足分ばかりに目を向けていた。
不足分を努力や根性で改善すべきであり、常に向上心を持たなければ、自分のことを好きになれないし肯定できないと思いこんでいた。
でも違う。自分の弱い部分を受け止め、それを隠さずさらけ出す勇気を持ってはじめて、本当の自己肯定感が育まれていくのだ。
娘たちの強い部分も弱い部分もすべて受け入れて「どんなあなたでも愛しているよ」と伝え続けていこうと決めた。
小学生になっても、高校生になっても、大人になっても、「ママが大好きなかわいい子はだれでしょうか〜」と問いかければ「はーい!!」と、いつだって迷うことなく両手を挙げて欲しい。
これが私なりの、子育てにおける自己肯定感との向き合い方だ。